2013年7月アーカイブ

暑いときには読書

 全国どこでもそうらしいが、函館もとにかく暑い。我らの早朝テニスだって8時を過ぎる頃には相手は熱暑で、発汗vs給水が実態だ。しかし40度なんて都市もあるというから恐れ入る。店主の育った十勝は真夏でもせいぜい30度が上限で、そんな時などこれぞ夏の頂点と心得て耐えつつ、迫る秋や冬に想いを至らせたものだ。思えば7月もまだ中、こんな時期のこんな気温では本当に先が思いやられる。 そんな暑さで脳も溶けそうな時、堤未果さんの「(株)貧困大陸アメリカ」を読み終えた。278ページの岩波新書だが、アメリカ発グローバリゼーションの実態が描かれ、前作からいくらも経てないのに、その害毒が広範囲に拡大進行してる事を思い知らされる。いま我が国もTPP参加を巡って揺れてるわけだが、石油や食糧自給システムをはじめ勿論金融、文化に至まで国家の尊厳を根こそぎされたイラクや韓国やアルゼンチンなどの実情が紹介され、読めば我が国の行く末だって容易に想像できる。そのアメリカだって国家そのものが企業の餌食になってるわけで、まったくもって悪夢としか言い様がない。今や国家という概念に拘ってると事の本質を見失うだろう。そこにはアメリカも日本もありゃしない、グローバリズムとはそんな垣根を乗り越えて蔓延るわけで、我らの内なる「貪欲さ」が地上のあらゆるモノを奪い尽くすわけだ。我らヒト種のわずか1%の貪欲族が、残りの99%を奴隷化するという構造だ。その比率はしかしもっともっと拡大する一方だ。その貪欲族だって一目でそれと分かるわけじゃなくて「ニッポンを取り戻そう」「規制緩和で財政再建」などと厚化粧仮面で我々を欺くのだから始末が悪い。著者は最後に対抗手段も提案してるけれど、とにかく読書中背筋の凍る思いをするのは間違いない。手遅れにならんうち、せめて選挙には行こうと言うしか無い。

 画像は石戸谷準さんのステンドグラス越しに見える教会の庭の緑。

空の色 展

 旧大野町在住の母と函館在住の娘、つまり安藤エツ子さんと美香さんの藍工房"かや野"作品展が始まった。毎年この時期に開催して10年になるのだが、市民と観光客そのどちらにも喜ばれてる。それというのも母が栽培した藍を用いて、それを母娘で染めたり織ったり仕立てたりするわけで、作品はまさに渡島平野という風土の産物。 藍染めが日本の伝統工芸なのは事実だ。しかしヨーロッパで合成染料が開発され、何かと扱いの難しい藍染めは一時すっかり姿を消したと言われてる。現在の藍染めは、だから試行錯誤しながらやっと再生復元した技術、いわばリバイバルである。ムラなく均質に、そして素早く染まる合成染料万能の時代にナニを好んで厄介な藍染めをと思うけれど、しかしそうした合理性や簡便さからは生まれてこない「味わい」が藍にはある。

 先週の作家であるキャロラインさんが、お隣のヨハネ教会ハンセン牧師さんの娘というのは紹介済みだが、実はこのギャラリー建築の祈願祭を執り行ったのがそのハンセンさんである。そして牧師さんは、いわゆる棟札を用意してくださり、そこには「神は愛である」と認められ、この屋根裏にそれは奉られてるはずだ。「愛は藍である」とは駄洒落であるが、母から娘に伝わる藍もまた愛で、つまりここは藍のとても良く馴染むギャラリーなのであります。

安藤エツ子・美香 藍工房かや野「空の色展」

会期7月1日から23日まで

湯の川温泉経由の立待岬

 地球の裏の芝コート熱戦も本日は休戦日みたいである。思えばウインブルドン並みで、我らの早朝テニスも月曜は休養日。この歳になるとその有り難さは身にしみるが、そんな朝はしかし何とも身の置き所がない。そこでいつも谷地頭温泉となるのだが、しかし民間化のご一新でわが谷地頭リゾートは改装工事の休館中だ。そこで閃いたのが湯の川M仙旅館の老体にやさしいマッタリ湯である。 函館山裾から湯の川までは大森浜沿いの一本道だ。夕刻にはこの道を観光客満載バスが続々函館山を目指すけれど、今朝は逆で、ボロボロ関節や筋肉を抱えた店主が年代もの軽スバルで湯の川温泉を目指す。しかしだ、何と言う事、出てきた大女将「たった今、お湯を抜いてしまったのよ」だってさ。

 そこで戻っちゃオトコが廃る...というほどのオトコじゃないが、とにかく次なる道筋に浮かんだのが銭湯「永寿湯」だ。朝湯会という良き伝統があるのを思い出したが、今も健在かいささか不安、だが行ってみたら熱い湯に磨かれた男女が出てきたところだ。一安心の店主、番台に420円払って脱いで戸を開けて明るい湯部屋に入ると先客がひとり、当たり前だが裸で和んでおいでだった。

 片足そろりで永寿湯の熱さの記憶が蘇った。澄明でしかし熱く、世界遺産でもある「本栖湖入れ込み富士山ペンキ絵画」を睨みながら刺す様な熱に耐えた。ひと仕事終えた漁師たちにとってこの熱さは至福なんだろうが、やわな遠征店主には結構な苦行だ。流れ落ちる苦悶の汗をおさめるため店主はいつもの如く立待岬目指したが、岬からの湯の川は濃い霧の彼方だった。

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