2014年9月アーカイブ

I left my heart in scotland

 ヒマとオカネに多少余裕ががあった頃だが、ギャラリー店主は思い立って英国を訪ねた。英語が話せて、10日くらいの日程でそこそこ回れる外国と言えば彼の国しか思い浮かばなかったのだ。格安チケットで シベリア上空を12時間も飛び続けたあと、北海辺りから次第に高度を下げる機から見下ろす緑の大地は絵本のように美しかった。行ってみて分かったのだがイギリスという国など存在せず、あるのはユナイテドキングダム、つまり連合王国「グレートブリテン」であった。大英博物館やコベントガーデン、ドックランズなどイングランドを巡り歩いたが、「インバネスは綺麗ななマチだ」という知人の言葉を思い出し、ブリテイッシュレイルでスコットランドへ向かった。鉄道は英国発祥、車両デザインも美しく静かで快適だった。
 とある鉄橋を越えたあたりだが、車内に歌声が鳴り響いた。乗り合わせた少年達が一斉に立ち上がり唄いだしたのだ。scotland oh scotlandと聞こえたが、その一曲唄い終えると車内はもとの静けさに戻った。どうやらスコットランドを讃える歌らしいが、格別指導者らしき姿はなく極めて自然で自発的精神の発露に思えた。その時はエデインバラで降りて一泊したが、スコットランドポンドに出会い、翌日、今度はスコットレイルでインバネスに向かったけれど、"連合王国"の微妙な内部事情を知らされた旅だった。あれから20年になる。最近独立の可否を決める選挙が行われたかの国のニュースを見てると、オトナになったあのときの少年たちが思い浮かぶ。
 画像はスコットランドの国花アザミだが、これは函館山山頂の要塞跡に咲いてたもの。
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復活した聴覚

 次第に音の無い世界が広がる、つまり難聴である。それなりに聞こえていた左耳もやがて機能しなくなり、殆ど無音の世界に閉じ込められた。不思議に電話の受話器を通す会話は出来るのだが、しかしテレビ音声が聞こえないし対面会話にとても不自由する。テレビなど聞こえなくても困らないけれど難題は店番で、長年の経験をもとに手探りのような「想像的会話」が続いたものだ。
 思いつくのは老化だ。しかし当たり前と思いながらもどこかで拒否したい気分になる。老化以外の原因があれば治療可能なわけで、周囲の勧めもあり結局クリニックを訪ねることとなった。
 「耳垢だね」名医の誉れ高いドクトルS藤は事もなげにそう言った。日に三度薬をさして、3日ほどで柔くなったところで取り出すのだそうだ。3日目の午後クリニックの治療室で店主の聴覚は復活した。最初に届いたのは待合室の子供達の声だが、やがて忘れていた音社会が一気に押し寄せた。水洗トイレなど吸い込まれるほど恐ろしく聞こえたし、テニスの自打球音は驚くほど金属的響きだ。長年乗りなれた自家用自動車は喧しくて仕様がなく、高級セダンが突然ポンコツ車両に取って代わられた気分だ。
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